No.349
☆ネットで、吉本隆明が福島原発事故に対して発言していた記事を見つけた。
「原子力は核分裂の時、莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、
問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、
私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、
多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御
装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない
人が怒るのもごもっともだが……」「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。
技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発を
やめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ
技術を発達させるしかないと思います」
(吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。
<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃
的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか
超える道はないはずです>)
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされて
しまったといいましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、
支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、
私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも
大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な人にとっては、人間の生存を
第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに人間性を
逸脱しているということでしょう」
「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたく
さんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの
限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
「ただ」「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には
多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断でき
ない部分も残っています」
(宍戸護「科学技術に退歩はない」毎日新聞 2011年5月27日 東京夕刊)
これだけ記録してもらえれば十分だ。
「大衆の原像」を思想の核に据えるかぎり、現代文明の「退廃」は否定できないというのが
吉本の考えである。
これをすぐに資本主義の肯定だと短絡して、吉本は時代遅れだと
デマを流す宮台真司などの輩もいるが、そんな単純な問題ではない。
ただし、わたしに言わせれば、
日本人の二人に一人がガンを患っている上に、
福島原発の放射能放出により、
日本国家の構成員の過半数がガンを患うことが確定した以上、
「退廃」の軌道修正が避けられない状況に至っているということなのだ。
更に、現代の科学技術の粋を集めた現代医学が、
ガンを治せないという現実もそれに加担している。
科学ではこの状況を前に進められないのである。
科学は進んでも、科学者が進んでいるわけでもなく、
技術が進んでも、経済・政治がそれを捻じ曲げることもある。
吉本の言うように科学が安全な原発を作ろうとしても、
経済がそれを許さなかったのだ。
そして、言論まで捻じ曲げられてしまった。
現在の日本に、この状況を突きぬけられる科学など存在しない、
これが現実である。
大事なのは、ちゃんと吉本は最後に、
「原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。
僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、
判断できない部分も残っています」
と言っていることで、
ここが都民投票を恐れて逃げ回るどこかの田舎者の都知事とちがうところであり、
また、「僕が今まで体験したこともない部分」、
「判断できない部分」という、
ここが非常に大事な所で、
要するに、
かつて一般大衆を活字など無縁な所で生きている人々と定義できたとして、
それが現在では、
わたしのようなはぐれ者を除いてだれもがケータイを持ち歩く時代となり、
電子文字が日本語の伝達手段として生活の基礎となった時代では、
大衆の原像の修正が必要だということなのだ。
これを言いかえれば、
いまだに共同幻想のふりをして
新聞テレビが毎日大量のゴミを再生産し続けている次元とは異なる次元を
日本の大衆が生き始めているということであり、
それをかつて吉本が27年前に「政治なんてものはない」と言ったように、
一言でいえば、
「共同幻想なんてものはない」という時代に入っているということである。
インターネットを使えば、
だれもが個人として世界中の個人に情報を伝達できる時代
ということである。
もちろん共同幻想が消えるわけでもなく、
それを利用して生き残ろうとする連中が
権力システムを手放さず国民を阻害し続けていることも事実である。
だが、そいつらもまた、
単なる個人に過ぎないことが
だれの目にも明らかになりつつある。
そういうことなのである。
20120325