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  • ローカルなアメリカ
    [ 2012-05-27 13:14 ]
  • フランスの変容 アメリカの衰退
    [ 2012-05-20 17:43 ]
  • 日本の衰退=アジアの勢い
    [ 2012-05-13 17:24 ]
  • 地域が国家を超える時代
    [ 2012-05-08 16:59 ]
  • 権力を名指しで批判できない日本語
    [ 2012-04-30 00:58 ]
  • 生命の奏でる音
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    [ 2012-04-15 19:12 ]
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    [ 2012-04-09 02:23 ]
  • 嘆異抄の時代
    [ 2012-04-02 16:45 ]
  • 共同幻想なんてものはない
    [ 2012-03-25 22:55 ]

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ローカルなアメリカ

No.358
☆「アメリカン・アイドル」は、結局、Jessica Sanchez を優勝させなかった。
これも、シナリオ通りのことであった。
先週の回から、主催者サイドのJessicaの勢いを削ぐ意図が明らかで、
違和感を覚えたが、2週続けるとなると、
ここまでやるかと呆れてしまう。

まず、プロデューサーの選曲がおかしかったし、
それにジャッジが追い討ちをかけて評価を下げる。
そして、メディアがそれを拡散する。
もともとトップ7で一度脱落させ救ってやった者を
優勝させるわけにはいかないというわけだ。
というか、だから、何とでもできるわけだ。

準決勝で、アフリカ系を落とし、
決勝でアジア系(フィリピン-メキシコ)を落とし、
コーカソイドの男が最後に残るというシナリオ。
こんなことを5年も続けている。
コーカソイドの男が権力を握っているかぎり、
アメリカは変わらないし変われない。

当のJessica もそれには無意識に気づいていたようで、
「彼が勝つことは知っていた」と肯定的な言い方でインタビューに答えていた。

それでも、さすがにオバマは、
すぐJessica をホワイトハウスに呼びよせて、
アメリカ国家を歌わせたという。
もちろん大統領選での若者票を狙っての宣伝である。

かつてのアメリカが、ネイティブのアメリカンに対して、
また奴隷として連れてきたアフリカ系に対して
恐れねじ伏せたように、
今もアメリカのコーカソイドは、
アジア系を理解できず、
その勢いに恐れをなしている。
今ではアフリカ系もそれに加担して、
アジア系を利用しようとしている。

先週見たカナダの映画の原題は
「Les Invasions barbares:野蛮な侵略者たち(?)」であった。
カナダは自分たちコーカソイドが世界史上最悪の侵略者だ
ということを自覚している。
そのカナダでは、75%もの学費値上げに反対して
学生や教授たちがストを起こしているという。

それに比べても、アメリカのコーカソイドは保守反動的でローカルだと思う。

☆今週気になったニュースは、
あの社員を自殺させたワタミが、
いまだに従業員の残業時間に関して
労基署から是正勧告を受け続けていたというものだ。
従業員は家族同然だと言いながら、
従業員の幸福ではなく、
会社の利益だけを追求する組織だということである。

木曜に会った、韓国の出版社の幹部が話していたのだが、
韓国も今はひどい不景気なのだが、それから見ると、
日本が倒れないのが不思議でならないと、
よっぽど貯め込んでいるのだろうと、言うのだった。

要するに、大震災に加え、
原発爆発による放射能災害が続いているにもかかわらず、
円高が維持されているのは、
国家の富を独占している奴らがいるからであり、
そいつらが国民の幸福ではなく、
自分たちの利益のみを追求しているからだということである。

国家は国民のためにあり、会社は社員のためにある。
こんな当たり前のことさえ、
日本はいまだに達成できないでいる。
日本を支配しているアメリカがそれを許さないからである。
日本=アメリカはどんどんローカルになって行く。
20120527

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-05-27 13:14 | Trackback | Comments(0)

フランスの変容 アメリカの衰退

No.357
☆ネットによると、フランスの新大統領オランドは政権公約60のうち、既に、
新閣僚34人の半分を女性にし、
全閣僚の報酬を30%削減する
という政策を実現したという。(「杉並からの情報発信です」)

他の公約も社会党らしい、いわゆる民主主義を進めた形のものが見受けられて、
G8にロシアのプーチンが参加せず、
アメリカを中心とした先進国の存在感が薄れている現在にあって、
まだまだフランスは世界をリードできると思わせるものだった。

例えば、「アフガニスタンからの撤退」、「脱原発依存」は当然だが、
「大企業の法人税増税、中小・零細企業減税」や「銀行への課税」など
アメリカ型資本主義を否定している点、
「住宅建設を促進させ、5年間で一般大衆や学生向けの住宅を
250万戸建設するために国有地を地方自治体に無償で譲渡する」、
「脱中央集権を進める」といった政策などだ。

また、「5年以上合法的に居住している外国人に地方選挙権を与え」、
「同性愛者の婚姻、養子縁組を認め」、
「尊厳死を認める」とも言う。

特に、尊厳死に関しては、昨日たまたま
「Les Invasions barbares 邦題:みなさん、さようなら」という
2003年のカナダ・フランス映画を見たので、
さすがだなと思う。

末期ガンの大学教授で好色な社会主義者が
家族や友人、愛人に見守られながら安楽死していくというものだ。

但し、そんな幸せな最期を可能にしたのは、
全て、ロンドンの証券銀行で稼ぐ息子の「金」であったし、
ここでも、医者に見放された末期ガンは「治らないもの」として扱われ、
ただ一人、主人公に対して「奇跡の治療」という本を勧める
友人の若い妻は「頭がスカスカ」のバカ女として扱われてしまう。

10年前の映画とはいえ、
今のフランス・カナダのガンに対する考え方が進んでいるとは思えない。
オランドも
「病院が民営化され私立病院になっていく傾向を終わらせる」といい、
「病院は公共サービスであり企業活動ではない」と言っていて、
ある程度、製薬会社による抗癌剤ビジネスは抑えられるかもしれないが、
その先に「尊厳死」が来るのでは、
どうかと思う。
「公共サービス」でガンを治すことなど、とても望めないからである。

☆アメリカン・アイドルの決勝は、
Jessica Sanchez とコーカソイドの男に決まり、
アフリカ系の男は脱落してしまった。

これもまた、ツィッターのフォロワーの数を考えれば当然のことであった。
Jessica が今39万人近く、コーカソイドが30万人余り、に対し、
アフリカ系はその3分の1に過ぎなかったからだ。
アメリカの商売はシビアだ。
約9000万の電話投票があったと言うが、そんなのはウソに決まっている。

「9.11」の翌年からまるで「国策番組」のように始まったこの番組で、
11年目にしてようやくアジア系の少女が決勝に進む。
さすがに10年目の節目となった昨年は、
「カントリー系の少年」を優勝にしたのだった。
今年もまた、5年連続でコーカソイドの男を優勝させるなら、
それはそれこそ、アメリカの衰退を如実に示すことになる。
そして、Jessicaの優勝は、
アメリカが大きく変わろうとしていることを示すことになるだろう。
20120520

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-05-20 17:43 | Trackback | Comments(0)

日本の衰退=アジアの勢い

No.356
☆小沢一郎の裁判は、公訴棄却されるべきであった。
また、一審で無罪判決が出た時点で、確定とされるべきであり、
検察役でしかない指定弁護士に控訴権があるのかどうかの法的根拠も怪しい。
にもかかわらず、
守旧権力は当然のように控訴手続きを開始した。
シナリオどおり、
連休中の捏造捜査報告書ファイルの流出は、
指定弁護士による控訴で、ピタリと収まったということである。
最高裁長官竹崎博充の意のままに、
小沢と検察の共倒れが仕組まれたのである。

が、これで国民が騙せると思ったら大間違いである。
国民の代表である小沢一郎を弾圧しているのが、
最高裁長官竹崎博充であり、
消費税を上げようとしている財務省事務次官勝栄二郎であり、
原発を再稼働させようとしている経産省事務次官安達健祐であり、
辺野古の海を基地にしようとしている防衛省事務次官金沢博範であり、
アメリカに隷属する外務省事務次官佐々江 賢一郎である。
国民の意志など全く意に解せず
無責任に権力をふるい続けるこいつらこそが、
今国民の前に立ちはだかっているのである。
これに、民主党のハエ男たち、
陰でこそこそ指定弁護士を金で従わせた仙谷由人。

こいつらの個人の恣意で
国の税金の使い方が決定されようとしており、
それが見え見えであることが
情況を「悪く」しているのである。
瀬戸内寂聴に
「90年生きてきて 今ほど悪い 日本はなかった」と
言わせるほどに、である。

☆今年の「アメリカン・アイドル」は、結局、
見るからに東南アジア系(父親がスパニッシュ?)の16歳の女の子Jessica Sanchez 、
そして、アフリカ系とコーカソイドの男2人が
トップ3に残った。
みんな黒髪である。
この構成は、ジェニファー・ロペスがスパニッシュなので、
ジャッジ3人と同じであり、
まさに現在のアメリカを象徴している。

Jessica は、一度、トップ7で脱落しそうになったのをジャッジが救ったという、
何ともアメリカ好みのシナリオで、
おそらくアフリカ系の男と決勝に進み、
決勝では敗れるだろう。
これもまた、シナリオどおりである。
なぜなら、オバマが大統領であり、Foxのテレビ番組だからである。
Jessicaが優勝するとしたら、
それはそれで
現在のアジアの勢いが
そこに読めることになるだろう。
20120513

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-05-13 17:24 | Trackback | Comments(0)

地域が国家を超える時代

No.355
☆この連休中に、小沢一郎の裁判に関して、
検察が捏造した捜査報告書のファイルがネットに流れ、
そのことをマスコミも報道したという。

「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」代表、八木啓代のところにも
5月2日付でロシア語のメールが届き
ロシアのファイル共有サイトからダウンロードするように案内されていたという。

その中身を読んだわけではないが
本物と見て間違いないだろう。

では、こんなことをして誰がいったい得をするのかと考えれば、
情報源は当の検察内部か、
あるいは、「一市民T」の言うように
最高裁と考えるのが理にかなっているだろう。
最高裁長官竹崎博充は検察を粛清して、
守旧権力体制の生き残りを図ったというわけである。

もちろん、検察役の指定弁護士、あるいは被告人小沢の弁護士関係から
流されたということも考えられるし、
実際にマスコミはそれらを入手していたと言われているが、
マスコミが墓穴を掘るようなことはしないだろうし、
無罪を勝ち取った被告人サイドが流す義はない。

この流出には、もっと大きな意図が感じられる。
そして、そこから見えて来ることは、
日本の権力は、ネットの言説を恐れているということである。
そこには、彼ら自身が情報操作しているという自意識が映し出されているし、
マスコミを統制し言及されることを避けてきた者たちの
ひ弱な無責任体質が表れているのである。

いずれにしろ、インターネットの言説により、
日本の共同幻想は大きく変容してきている。
この今世紀の敗戦状況を通じて、
「国民の生活が第一」という国民主権の言説が、
これまでの中央集権の言説を
ただの恣意的な独言へと無力化しつつあるのである。

☆小沢一郎も言っているように、
中央集権の解体と同時に、地域主権がクローズアップされてくる。

吉本隆明も、『家族のゆくえ』(光文社)の中で次のように言っていた。

「種族で画一的なことをいうのは危ない気がする。人間の場合も―本来は個人ないしは
夫婦だけでいたいとおもっていたのに、社会的必要から集団ができ国家ができたと考え
られているが、じつはそうではないのかもしれない。この地域の自然条件はこうで別の
地域はこうこうでと、個別的に追求していかないと間違ってしまうのではないか。」

「地域の文化・風習は言葉と同じくらい種族を超えてちがう…」
「このあたりの問題は徹底的に追究して、確言できるまで実証する必要があるとおもえる。」

「同じ種族でも地域がちがうと、その文化形態が異なってしまう。社会の組み方がまるで
ちがってしまう。そうである以上、いままでいわれてきたことより、もう少し先まで突っ込ん
でみたほうがいい。言葉の問題も家族の問題もそうする必要があるとおもえる。」

国家を媒介としてグローバル組織にまで展開した組織人間は、
画一性と効率を追求し、自然から乖離する一方であり、
人体の免疫システムに異常を来すまでに至っている。

その一方で、
国家の枠を超えて世界との交通を体験した自己は、
地域の文化を見出し、
自己を開き始めているのである。
20120508

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-05-08 16:59 | Trackback | Comments(0)

権力を名指しで批判できない日本語

No.354
☆小沢一郎の裁判は、無罪判決が下された。
判決そのものに触れていないため、
不当なものかどうか判断のしようはないが、
本来、起訴されるべき事案でなかったことは明らかであり、
検察の調書捏造が発覚した時点で控訴棄却されるべきであった。
それをわざわざ無罪判決としたのは、
あくまでも控訴棄却を要求した小沢に主導権を与えないための、
最高裁長官竹崎博充を始めとした守旧権力の
ぎりぎりの判断であったということになる。
これを有罪で押し切ったときの、
守旧権力側の不利益が大きくなると判断したということだ。
要するに、守旧権力側はこの件を
検察の暴走として収めようとしているということである。

ということは即ち、
これをもって守旧権力側の敗北宣言であると言っていい。
もちろんヤツらは、とっくの昔にこの国を敗戦状況に追いやっていながら
無責任にいつまでも権力にしがみついているだけで、
今後も「敗北」とはけっして認識できない哀れな存在にすぎない。

だが、もはや国民にうそをつけば何とか切り抜けられるという状況ではなく、
アメリカ頼みの権力体制もボロボロだということである。

政治状況的には、これでやっと
2010年9月の民主党代表選の前に戻ったことになる。
今後は民主党内最大派閥である小沢陣営が巻き返しを図り、
国民の意志として小沢首相を実現できるかが、
一つの情況となるだろう。

☆今回の裁判で、たとえば暴走した検察の個々の名前を
わたしたちはネットで知ることができ、
判決を下した裁判長の名前も記憶しているが、
そのトップである最高裁長官竹崎博充の名前は出て来なかった。
また、原発再稼働に関しては、経産省の事務次官安達健祐の名前を
わたしたちは聞いたことがない。
さすがに消費税増税では、財務省事務次官の勝栄二郎の名は
悪玉として知れ渡っているが、
その権力を握っている者たちの責任を追及すべき矛先が
なぜか行政官僚のトップに向かわないように操作されているのである。
ここにも1300年続いた天皇制の呪縛が残っている。

小沢一郎が、公約どおり、
こんな責任を取れない官僚どもから、
早く権限を取り上げることを期待したい。

☆最近、日本語にまともな二人称のないことが気になっている。
日本語にはヨーロッパ語のような絶対主語としての一人称もなければ、
それに対応した対等の関係としての二人称も存在しない。

わたしはもう結婚して25年になるが、
カミさんを何と呼ぶかずっと苦労していて、
結局名前でも呼べず、といってまともな二人称で呼ぶこともせず、
最近は「ユー」と呼ぶことさえある。
なんてこった、と思う。
目の前のカミさんを呼ぶ適当な日本語がなくて、
「ねえ」とか「おい」とか「おんどりゃ」とか呼んで、
怒られる。
なんてこった、だ。
20120429

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-04-30 00:58 | Trackback | Comments(0)

生命の奏でる音

No.353
☆IWJが、この3月18日に豊田市で開かれた
「農山村へのシフト 今・未来」というシンポジウムを紹介していて、
澁澤寿一という人の基調講演を視聴した。

ここでも『八日目の蝉』と同様に、
どん詰まりの現代社会システムに対し、
いわゆる中山間部すなわち里山の可能性を対比し、
とりわけ福島以後の状況が都市社会の不安を増大させ、
「農山村へのシフト」を加速させていると語られていた。

もちろん、農山村が理想郷であるわけではなく、
両方が問題を抱えており、
その両者の問題の解決策を模索していく上で、
場所としては都市ではなく、中山間部において、
新しい共同体の在り方が問われているというのである。

ただし、ここでもその方向性の示すイメージは、
アジアの「農」へのノスタルジーで占められていて、
ヨーロッパ近代以降の歴史が抱える「自己」の問題が捨象されている。
確かに、経済的な問題を避けるわけにはいかないため、
資本主義経済を取り入れる例として、
若いうちは、会社勤めをして、ある年齢に達したら里山で暮らすという、
一つの個人のライフスタイルは示されているのだが、
結局それは、日本の伝統的な農村共同体を基盤に据えたもので、
都市の抱える問題は不問に付されており、
共同体と自己の矛盾については
最初から問題が設定されていないのであった。
ここを通過しないかぎり、現代の思想としては成立しないのだが。

自己を孤立化させ無力化し、
共同幻想と自己の矛盾から精神病へ、
あるいは癌へと帰結する、
それが現代社会システムにほかならない。
その矛盾を社会の構成員が身を持って体現するのは、
権力による情報統制と監視を通してであった。

これを解体し、自己を自立させるツールとして、
インターネットの言説が可能性を開いている。
その先に初めて、「アジア的段階」
更には「アフリカ的段階」が見えて来るのである。
生命の形態としてである。

☆22日(日)に、西東京交響楽団の定期演奏会で、
うちのカミさんがモーツァルトの「ピアノコンチェルト第21番」のピアノ演奏をした。

わたしは、そこに
自立した自己の生命を
ピアノの音として聴いたのだった。
ありがたいことであった。
20120423

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-04-24 20:21 | Trackback | Comments(0)

敗戦後を生きる蝉

No.352
☆今週は、ケーブルテレビで『八日目の蝉』という映画を見た。
日本のアカデミー賞を取ったとかで評判が高いというので見てみた。

それなりに最後まで見せられたが、
それは俳優の演技によるもので、
どんなにリアルに演技しても物語は破綻しており、
物語の内部から語るべきことは何もなく、
例によって、謎解きがいくつか仕掛けられた
過去の作品の焼きまわしであり、
ロケ地の宣伝が盛り込まれたものに過ぎなかった。

ただ、それなりに評価が高く多くの人が注目したという意味は、
この作品を外部から見ればよく理解できる。

ある既婚男性の愛人が自らは妊娠中絶を余儀なくされた後に、
本妻が出産した女児を
まだ首が据わったばかりの段階で誘拐し、
逃亡し、
4歳まで育てたところで捕まる
というのが過去の物語で、
それと、
実の両親のもとに戻った女の子がどうしても実母とうまくいかず、
女子大生になった現在は一人暮らしをしていて、
結局、自分を誘拐した女と同じように妻子持ちの男と付き合い妊娠し、
生むかどうか迷うが、
そこで、自分が実の母親として慕った女との4年間を
たどり直す旅に出て、
幼児期に暮らした小豆島で、
その女と暮らした黄金風景が鮮明に蘇り、
自分は子どもを生むと決意するまでの
現在の物語が
二重に重ねられた作品である。

要するに、
現代人にとっては4歳までの乳幼児期に接する「母性」こそが、
かけがえのない豊かな無意識を育てるものであって、
それ以降は苦痛な通過儀礼に過ぎなくなっているということと、
もう一つは、
その4歳以降の学校化社会=都市化社会を取り仕切る男性は
もはや子種の提供者に過ぎず、
否定される存在でしかないということである。

これが無意識を封印し抑圧する装置でしかない都市社会と
輝かしい自然に囲まれた地域社会との
対比として描かれているのだが、
そこまで作者は意図的でないため、
中途半端な自然と祭り=地域文化の礼賛に終わっている。

まあ、こんなところだが、
福島原発爆発以降の日本の男社会の敗戦状況を、
破綻した権力システムをいまだに変えられず、
戦犯の延命を許し、
この期に及んで増税に原発再稼働を決定する政府を傍観する
「全く頼りにならない」日本の男社会の状況を、
暗に比喩した作品となっていて、
それが「反響」を呼んだのだろう。

わたしも後20年生きられるかどうか、
この「敗戦後を生きる蝉」として、
声を殺して鳴いてみせるか、
と。

我が家の近くの川沿いの枝垂れ桜は
今日も満開であった。
20120415

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-04-15 19:12 | Trackback | Comments(0)

現代の社会システムを超えるには

No.351
☆今週は、息子の勧めで『アイアムアヒーロー』(花沢健吾 小学館)
というマンガを読み、
映画の『トワイライトシリーズ』を録画で1~3まで見た。
いわゆるゾンビものとバンパイアもので、いかにもという感じだが、
それぞれ日本とアメリカの状況を捉えていて、
若者に人気があるのもよくわかる。

特に、マンガのほうは昨年以来の福島の状況を先取りしていて、
パニック時の日本人の対応をよく描けている。
ただし、連載はこれからが大変で、
作者の知の殺し方は徹底していていいが、
真相を、つまりゾンビ化する感染の原因をどう処理するのかがカギになる。
既成権力の知を無化できても、
その先に結局は「ヒューマニズム」を持ってくるのでは
ガッカリだからである。

アメリカのほうも、主人公の女子高生が人間を捨ててバンパイアの男と結婚し、
その一族になるという物語なのだが、
そこにインディアンの人狼一族の少年が三角関係としてからんでくるものの、
なぜバンパイアに魅かれるのかという必然性は感じられない。
運命の出会いだからという、単なる恋愛物語にしかなっていない。
そこのところを解き明かすなら、
バンパイアの一族にも、結局はルーツがあって
イタリアの一族が世界を取り仕切っているという設定からもわかるように、
多人種のせめぎ合いにあえぐ現在のアメリカ白人こそが
ルーツを欲しているからにほかならない。
主人公が通うことになる田舎の高校で出迎える4人グループには
当然のようにアジア系の男女がいるし、
また、今年のFOXテレビの「アメリカン・アイドル」は
トップ10のうち白人は6人で、
ブラックが1人、韓国が1人、後の2人はフィリピン系(に見える)だった
ということが象徴しているように、
アメリカ白人は無意識に追い詰められているのである。
だからこそ、死を知らず超人としての能力を持つ無敵のバンパイアに憧れるのである。
ただし、ルーツを遡ると言っても、
そのイタリアの一族もせいぜい300年程度しか生きていない
というのだから底が浅すぎる。

両作品の背景にあるのは、
現代人のディスコミュニケーションであるが、
この閉塞した現代社会システムをどう超えるか
というところで作品は成立しており、
そこに文化や歴史の時間性が関わって来るのであった。

☆もうひとつ、以前、確か3年前ぐらいに、まだ日本のテレビを見ていたころ
「カンブリア宮殿」というテレビ東京の番組の予告編を見て気になっていた会社があって、
その「メガネ21」(現在は株式会社21)という会社の社長だった
平本清の本
『丸見え経営』(ソフトバンククリエイティブ)と
『会社にお金を残さない』(大和書房)というのを読んだ。

もっと早くに読んでおくべきだったと悔やまれるほどの内容だった。
ここには、閉塞した現代社会システムを超える、
まさにアジア的、日本的な方法が
会社運営の一つの理想形として示されている。

内部留保をゼロに近づけるというのも、
社員の給料や人事評価を丸見えにするのも、
中間管理職を置かず稟議制度を廃したのも、
すべては社員の幸福を追求するためだという。
大したものである。

わたしが特に注目したのは、
稟議書などといった紙による、しかも上司の判子を必要とする
無駄の多い決裁方法を一切排除して、
社内ウェブだけで処理しているという点であった。
だれかがウェブ上に提案をして、
それに対し社員のだれからも意見の書き込みがない場合は、
即決定となり、その提案が通るのだという。
これはすごいことだ。
ここからは、他の企業だけでなく、
文書中心主義で一向に効率化を図ろうとしない官庁を始めとした
全ての役人組織が多くを学ぶべきである。
情報通信技術の発達が
理想の組織運営の追求を加速させているのである。

ここから見ると、
理想などまったく持ち合わせない官僚どもが消費税を上げようとしている、
その退廃ぶりがよく見える。

☆先週末、花粉症の症状が重くなり、体温も37℃まで上がり、
風邪のような炎症反応を起こしてしまった。
それに、月曜の10時までに仕上げなければならない急な仕事も入って来たため、
やむをえず市販の葛根湯を飲んだ。
おかげで熱はすぐに下がり、
台風のような春の嵐が過ぎ去った水曜からは、
また川沿いの散歩ができるまでに回復した。

今回、確かに仕事に差し障りのある程度まで症状が悪化したのではあったが、
それを現代社会システムが「病気」だとしてマイナスに捉えることの意味を考えた。

ガンを体験し、ガンを治したわたしの体は、
「病気」を治癒のための一過程として
プラスに捉えることができるようになっている。

つまり、風邪なら風邪の症状は、
外部から侵入してきたウィルスと体が闘っている状態なのであって、
ウィルスをやっつけるための反応が発熱であり、
咳や鼻水や痰なのであり、
そうやって患部が戦闘状態にある間は、
全身の動きはストップされるということなのである。

わたしたちは「病気だから休む」と考えているが、
そうではなくて、
「病気を治すために体は自ら休む」のである。
わたしたちはいつのまにか「病気」も「休むこと」も
マイナスに捉えるようになってしまっているが、
それはなぜなら、
「病気」も「休むこと」も
わたしたちの体に備わる自然治癒力の働きであることが
見えなくなっているからにほかならない。
病気の症状とは身体の治癒力の発現にほかならない。
だから、本来、病気は治癒に結びつくものなのである。
それがいつのまにか病気は「死」のイメージに結び付けられるようになってしまい、
病気の現れた体は、
自然治癒力を排除された無力な患者として
扱われるようになってしまったのだ。
そこには「医学」の視線が前提とされているのであった。
わたしたちは病気になると、
医者が患者を診るように、
わたしたち自身を無力化してしまう。
まるで自然治癒力など備わっていないかのように。
なぜなら、医者は大学では「自然治癒」を学ばないからである。
ここに現代社会システムのトリックがあるのである。
それに気づくためには、
わたしはガンを体験するしかなかった。
それほどまでに根の深い問題なのである。
20120408

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-04-09 02:23 | Trackback | Comments(0)

嘆異抄の時代

No.350
☆「絹狸」と言う人から、このブログに初めてコメントをいただいた。
要するに、最近の吉本隆明の「発言」は、全て、聞き手のバイアスがかかっており、
メディアに利用されたものにすぎないという指摘である。

それは、わたしも承知しているつもりで、
前回引用した毎日新聞の署名記事は、
比較的まともだと判断して引用したものだ。
山本哲士が自分のブログで書いていたが、
書くことが不自由になってからの吉本は、
話し始めると止まらなくなり、
体に差し障りがあるため、
山本などの訪問は家人から時間制限を受けていたという。

吉本の頭の中の宇宙は、
はかり知れないというのが、
わたしのような無知な者の本音である。
それに気づかせてくれたのは、
去年の雑誌「コトバ第3号」(集英社)に載っていた次の「発言」であった。

― 人に老いや死を恐れる気持ちがあるのは、しかたがないことだと思います。
  率直なご意見を伺いたいのですが、いったい人はどのくらい長く生きれば、
  これで充分と満足できるのでしょうか。

「僕のいまの考えを極端に単純化していえば、銀河系の宇宙にある太陽系、
その第三惑星である地球にいる人間の寿命は、いまに銀河系の消滅と同じ
くらいまで行くぞ、と思っています。銀河系の星が永続的に近く輝くのに対し、
地球上にいる我々はどう頑張ったって、百歳足らずで一生を終えることに
なっている。この二つの時間には大変な隔たりがあるけれど、いまに見てろ
って僕は思うんですよ(笑)。何億年後のことになるかわかりませんけど、
その頃の人間は、宇宙の中の星と同じくらい生きるようになるだろう。これは
論理的に考えて、そう言えるんです。」

― そうなると、ほとんど永遠の命ですね。

「個人の一生と、銀河系の永遠に近い時間とをつなげて考えるなんて、
馬鹿馬鹿しいと思うかもしれませんが、僕は人間の寿命が延びるのに
限度はないと思っています。
 そのことを自覚させてくれたのは宮沢賢治です。」

こんなことをこんなふうにさらっと言ってのける思想家は、
世界中どこを探したっていやしないだろう。
かつての吉本なら、けっして口にしなかったことでもある。

だから、今の新聞やテレビの虚偽報道では状況がつかめないことも、
吉本は当然わかっていたはずである。
また、「退廃」についても、
いずれ人間の生命がバランスを取りながら進化していくだろうということも、
吉本はとっくの昔に見通していたはずである。

確かに、時代は第二の戦後を迎え、先の戦中派だった吉本の世代は、
完全に終わりを告げてしまった。
その象徴となったのが福島原発の爆発であった。
わたしたちには、東電=政府の破綻を予測できなかった戦争責任がある。
わたしに、わたし自身のガンを予測できなかった責任があるように。

たとえば、31日に環境大臣が京都の駅前で
被災地の瓦礫の受け入れを呼びかけ演説をしようとしたらしいが、
住民の激しい怒号を浴び、
結局、演説を諦めるほかなかったという。(「田中龍作ジャーナル」による。)

「皆さん、落ち着いて聞いて下さい。私は皆さんの話を聞くので、
皆さんも私の話を聞いて下さい…」。
「残念ながら聞く耳を持たない方がいらっしゃるので、
今日はマイクを使っての説明を止めます」。

これがそのとき聞き取れた大臣の発言だったそうだ。
わたしは確認していないが、USTREMではこの時の映像が流されたという。

ここではっきりしているのは、
国民は大臣の話を黙って聞くべきだと今でも考えているバカな大臣に対し、
現政権には最初から国民の声など聞く気はなく、
聞いたふりをするだけだということを前提にして
住民は声を上げているということだ。
新聞テレビを使って垂れ流す政権の言説とは
全く異なる言説に国民は立っており、
それはインターネットを通して瞬時に全国に行き渡る。
しかも無編集で。
そういう時代に、
先のバカ首相が参院選で国民に断罪された消費税増税を、
またしても現政権が国民の声を無視して国会に法案として提出するという。
小沢裁判しかり、消費税増税しかり、原発の再稼働しかり、
これほどまでの国民を無視した行政官僚の横暴に
手を出せないどころか逆に加担している現政権など
即刻リコールしなければならない。

それができるように、
ただの一庶民として構想すること、
それがわたしたちの責任である。
「普通の人の誰もがそう思うようになったらたいしたもので。
そのときは本当に社会は変わります。」(「コトバ第3号」)
そう、吉本も言っている。
20120402

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-04-02 16:45 | Trackback | Comments(0)

共同幻想なんてものはない

No.349
☆ネットで、吉本隆明が福島原発事故に対して発言していた記事を見つけた。

「原子力は核分裂の時、莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、
問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、
私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、
多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御
装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない
人が怒るのもごもっともだが……」「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。
技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発を
やめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ
技術を発達させるしかないと思います」

(吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。
<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃
的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか
超える道はないはずです>)
 
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされて
しまったといいましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、
支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、
私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも
大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な人にとっては、人間の生存を
第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに人間性を
逸脱しているということでしょう」
「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたく
さんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの
限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
「ただ」「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には
多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断でき
ない部分も残っています」
(宍戸護「科学技術に退歩はない」毎日新聞 2011年5月27日 東京夕刊)

これだけ記録してもらえれば十分だ。
「大衆の原像」を思想の核に据えるかぎり、現代文明の「退廃」は否定できないというのが
吉本の考えである。
これをすぐに資本主義の肯定だと短絡して、吉本は時代遅れだと
デマを流す宮台真司などの輩もいるが、そんな単純な問題ではない。

ただし、わたしに言わせれば、
日本人の二人に一人がガンを患っている上に、
福島原発の放射能放出により、
日本国家の構成員の過半数がガンを患うことが確定した以上、
「退廃」の軌道修正が避けられない状況に至っているということなのだ。

更に、現代の科学技術の粋を集めた現代医学が、
ガンを治せないという現実もそれに加担している。
科学ではこの状況を前に進められないのである。
科学は進んでも、科学者が進んでいるわけでもなく、
技術が進んでも、経済・政治がそれを捻じ曲げることもある。
吉本の言うように科学が安全な原発を作ろうとしても、
経済がそれを許さなかったのだ。
そして、言論まで捻じ曲げられてしまった。
現在の日本に、この状況を突きぬけられる科学など存在しない、
これが現実である。

大事なのは、ちゃんと吉本は最後に、

「原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。
僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、
判断できない部分も残っています」

と言っていることで、
ここが都民投票を恐れて逃げ回るどこかの田舎者の都知事とちがうところであり、
また、「僕が今まで体験したこともない部分」、
「判断できない部分」という、
ここが非常に大事な所で、
要するに、
かつて一般大衆を活字など無縁な所で生きている人々と定義できたとして、
それが現在では、
わたしのようなはぐれ者を除いてだれもがケータイを持ち歩く時代となり、
電子文字が日本語の伝達手段として生活の基礎となった時代では、
大衆の原像の修正が必要だということなのだ。

これを言いかえれば、
いまだに共同幻想のふりをして
新聞テレビが毎日大量のゴミを再生産し続けている次元とは異なる次元を
日本の大衆が生き始めているということであり、
それをかつて吉本が27年前に「政治なんてものはない」と言ったように、
一言でいえば、
「共同幻想なんてものはない」という時代に入っているということである。
インターネットを使えば、
だれもが個人として世界中の個人に情報を伝達できる時代
ということである。

もちろん共同幻想が消えるわけでもなく、
それを利用して生き残ろうとする連中が
権力システムを手放さず国民を阻害し続けていることも事実である。
だが、そいつらもまた、
単なる個人に過ぎないことが
だれの目にも明らかになりつつある。
そういうことなのである。
20120325

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン by sola-tuusin | 2012-03-25 22:55 | Trackback | Comments(0)